早稲田の学生たちが主宰している「戸山フロイト研究会」の会報『PsychA』の創刊号をいただいた。特集が「Pour lire LACANラカンを読むために」と題されている。学部の学生たちが創ったものなのでそれほど期待はできないだろうと思って目を通してみると、とんでもない。内容が充実しているのに驚かされた。日本でのラカンの理解の水準はまだかなり低いもので、一般的にラカニアンとして知られている人たちでもそれほどラカンを読み込んで自分のものにしている人は少ない。ところが本誌を編集した人たちは年齢的にもそれほどラカンのテクストに親しんでいるはずはないとは思えるにもかかわらず皆そろって高い水準の理解を示している。

 本誌の最初の大きなテーマは「ラカン派入門書大レビュー」と銘打って、現在日本で手に入るラカン入門書の多くを評価しランク付けしている。おそらく彼らはこれらの本を丹念に読みこなしてこの水準に達したのであろう。彼らが自分自身で検証した結果が本レビューとなっておりかなり信頼性の高いものとなっている。すでにインターネットにおいてラカン関係の書籍を評価したものはいくつかあるが個人的な好みから恣意性が強くあまり当てにならない。その点でこれからラカンを読んでいこうという人たちにとって心強い。

 後はいくつかの論文と書評、そして最後に分析用語事典もついており、入門者に親切だ。

 これを読んでいるうちに昔フランスで出版された「Cahiers pour l’Analyse」を思い出した。Cahiersを創ったのは1960年代のエコールノルマルの学生たちで、当時流行っていた構造主義をよりどころとし、ラカンの精神分析を支持する哲学者の卵たちが集まって刊行したものだ。学生によって作られた機関誌といえども非常に高度な内容で当時の哲学、精神分析の先端を行っており、現在でも哲学や精神分析を学ぶものにとっては貴重なものである。編集陣はジャック=アラン・ミレール、ジャン=クロード・ミルネール、アラン・バディウーなどそうそうたるメンバーで、今では哲学、精神分析における一線で活躍している人たちである。

 『戸山フロイト研究会報PsychA』を『Cahiers』にたとえるのはちょっと過大評価だろうが、日本におけるその意義は無視できないものがあるように思える。というのも、日本の大学人や知識人のラカン理解はかなりお粗末なもので、たとえば、ある大学ではラカンをテーマに博士論文を書いても審査できる人に欠き、あまり関係のなさそうな精神科医がかり出されるような始末である。そうした情況で早稲田の学生たちの作業は何か新しい息吹を感じさせる。日本でも何かが変わってきているのではないかと希望がもてるからだ。筆者は現在までいろいろな人たちにラカンの精神分析の手ほどきを試みたが、ほとんど反応がなく、中でも優秀な人がそろい精神分析とかなり親近性のあるはずの精神科医の人たちの無理解と無関心には失望させられることが多かった。そうしたなかでこの『PsychA』を読んだとき、私のやっていたこともどこかで何か役に立っているのだなと感じて、報われたと思った。このコラムもそれだからこそ揚げたのだ。

 私は本サークルを初めてもう何年にもなるがいまだ会報ひとつ出すことができないでいる。それに比べて、早稲田の学生たちにはまったく頭が下がる気持ちがする。これからもがんばって、Cahiersがフランスでラカン的精神分析の発展に貢献したように、日本でも精神分析的な考えを広め、一種のnouvelle vagueを起こして欲しいものだ。

(旧サイトからの転載)